» 2011年6月28日(火曜日)

【取材報告】被災地の小さなメディアを訪問(下)

(報告:林香里、畑仲哲雄)

  • 原点は紙とペン:手書きの壁新聞を発行した石巻日日新聞

社屋が被災して輪転機が使えなくなったとき、石巻日日新聞社は手書きの壁新聞を6部作り、避難所とコンビニの店頭に貼り出した。電気が止まり、電話も通じず、インターネットも使えないという最悪の状況で、社員30人足らずの小さな新聞社が6日間にわたって油性ペンで作り続けた手書き壁新聞は、世界の報道機関に評価され、米国の新聞博物館(ニュージアム)に展示された。

  • ひと味ちがう地域紙の存在

報道部長の武内宏之さんは、内外から賞賛されたことについて、「私たちのような〈地域紙〉と呼ばれる小さな新聞社が、全国各地にあるんだということを、多くの人に知ってもらえたことがうれしいですね」と謙虚に話した。

新聞は、その発行規模によって全国紙と地方紙(ブロック紙・県紙)に区分されてきた。県紙より小さく、市や町をカバーする〈地域紙〉は全国に多数存在する。だが、たしかに武内さんが言うように一つひとつの〈地域紙〉は、その地域でしか読まれていないため、研究する人も少ない。地域紙の多くは日本新聞協会のような有力団体に加盟していないし、通信社からのニュース配信も受けていない。地元密着ゆえに、地域外から見えにくい。

そんな〈地域紙〉の石巻日日新聞の手書きの壁新聞が注目を集めた理由は、大災害の中で、紙とペンをという必要最小限の道具を使い、ニュース活動の「原点」ともいえる報道を愚直なまでに続けたことに、多くの人が胸を打たれたからではなかっただろうか。

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  • 先輩記者からの言い伝え

だが、なぜ石巻日日新聞社は、そうまでして発行継続にこだわったのか。報道部長の武内さんはその理由を答えた。「わが社は来年が創刊百年で、その前年に発行できなかったという記録を作りたくなかったということがひとつ。もうひとつは、先輩記者から語り継がれてきた反骨のエピソードです」

石巻日日新聞者は大正元年(1912)創刊の『東北日報』を起源とする歴史ある新聞社で、自分たちこそが石巻の歴史をつづってきたという強い自負がある。先輩記者のエピソードというのは、戦時下の新聞統合で「一県一紙」に組み入れられたことに抵抗して、自宅でわら半紙に意見を書き配って歩いた人たちがいたという言い伝えである。

そんなエピソードを思い出した武内さんは、地震から数時間後、激震で雑然とした社内で近江社長に告げた。社長は5年ほど前に他業種からやってきた人で記者経験がなかったが、「よし、ペンと紙があれば、伝えることができっぺ!」と宣言した。

その瞬間から新聞社内はクライマーズハイの「ハイ」の状態に包まれた、と武内さんは振り返る。最初の壁新聞は懐中電灯の灯りの下で書いた。翌朝、連絡が取れなくなっていた若手記者が顔を出した。車で一夜を過ごした彼は、その後、市役所へ先輩の原稿を受け取りに向かった。市庁舎は1階が1.5メートル水没していた。胸まで水に浸かったが、原稿は濡らさず持ち帰った。停電下の石巻で唯一のニュース源はラジオと携帯のワンセグだけ。しかし石巻のニュースはほとんどない。記者たちは自転車や徒歩で街を駆けずり回った。海側は壊滅的だった。やがて民放ヘリが石巻を空撮した。郷土の惨状に愕然とした。

  • 地域とジャーナリズム

6日間続いた壁新聞を日付順に並べると、後になるほど文字が小さく、余白が狭い。被災者に伝えなければならないことが日々増えていった。東京や海外のメディアからの取材にも応じた。ワシントンポストの記者がやってきたのは最後の壁新聞を作った18日だった。その記者からは、しつこいくらい何度も「なぜ、そこまでして新聞づくりにこだわったのか?」と訪ねた。

「使命感とか言われますが、ただ、本当にただ夢中でした。避難所の人なら、たぶんこういうことは知りたいだろう。自分の家があったところはどうなったか。地区がどうなっているか。それはわたし自身も同じ気持ちでしたからね」。

震災からしばらくして訪ねてきた大学生から、「ジャーナリズムの役割は権力監視でしょ」と言われた。石巻日日新聞のような地域紙はかねてから、全国紙や大手紙に比べると権力監視機能が弱いと言われてきた。そうした眼差しが〈地域紙〉、全国紙や地方紙より劣るものとして規定してきた。しかし、武内さんは、大災害のさなかにある地域紙にとって、行政権力を批判することだけがジャーナリズムの役割とは思えない。被災地では今も多くの人が傷つき、悲嘆に暮れている。役人も、地域紙記者もみな同じ境遇である。そんななかで地域にとって必要とされるジャーナリズム活動とはどのようなものかを、武内さんたちは日々模索している。

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私たちが訪れた被災地は、ごく一部にすぎない。出会った人も多くない。なので、そこから一般論を語ることはできない。ただ、私たちの訪問を受け入れてくれた被災地の小さなメディアで働く人たちから感じたのは、主流メディアが実践する全国規模のジャーナリズムとは違うメディア作りがいかに大切かということである。地域には地域固有の伝統や風土があり、地域の論理がある。ナショナルなレベルのジャーナリズムとは異なる機能や使命をもつ〈地域ジャーナリズム〉を再定義することが、私たちに課せられたミッションに思えた。

(文責・畑仲哲雄)

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